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中田安彦「ネット世論が日本を滅ぼす」を読む。 [本]

 久々に書評です。
中田安彦さんの「ネット世論が日本を滅ぼす」を読みました。

今回の本は、これまでの本と少し違います。キャッチーなタイトルかつ新書版。ターゲットを広めに設定した意欲作。これまでの研究と知見を下敷きにして、自らの経験も赤裸裸に綴ったヰタ・ポリティカルソート的な内容も含んだ本になっています。私も中田さんの思想の変遷を興味深く読みました。

そこから結論付けた、自らの意図に基づいての、穏健中道派のリベラル派、保守派を育成する「ポジショントーク」であると明言していて、それはまさにこの拙いblogとも合致する所。

 このblogも最近数年更新が滞っていますが、その理由として、身辺の変化もありますが、実の所、無力感もあります。

もともとショック・ドクトリンの邦訳が出ない事に業を煮やして、つたない訳でも乗せようと、政権交代前に始めたblogでした。今や遊び無くテキストで埋まったblogなんて、まともな書籍の様に埋もれて見えなくなり、実際にはこれまで人口に膾炙しなかった驚く様な情報がいろいろ出て来ているにも関わらず、それによって人々の知見が深まる訳でもない。ショートサイクルのSNSが大勢となって議論は劣化し、事態はどんどん難しくなって行くように見える。

例えば、「学園祭」を一発やって地域社会の理解を得て、プロモーション効果も狙って、採算もプラスで頑張ろうとしたとする。経営陣と効果を議論し、利用範囲やちょっと予算もらったりして、一方で開催の実行権限を握る左翼セクト(年がバレますがw)と調整し、誰でも参加出来る様、企画営業して実行して金もバズも上げようと。周りを振り返れば、そんな目論みを共有できる人がとんといない。
無意味なポリシーで全体のまとまりを割ってしまうグループ、無関心層、なんかやらせろと主張するので、スポンサーから飲み物貰ってセットした、仕入れも売り上げも関係ない町内会バザー的たこ焼きとかクレープ屋で、最終日なぜか感極まって泣いたかと思えば、アーティストを自分が呼んだかのごとく話し出すライブの警備係という様なのは(笑)分かってくれる方も多いと思います。

用意された物でスッキリするだけのたこ焼きや警備員ポジションは、旨い表現だなと思いましたが、文春系「大人のエロ本」でカタルシスを満たしスッキリするネトウヨであり、スポンサーイベントを資本主義の犬(笑)と反対し、自らの根城に赤字を計上させ、権利を主張するばかりの左翼は、永遠に着地点の話し合いにつく事が出来ない、恐怖に取り付かれた反原発運動の人々と言う事になりますか。

バーネイズを訳した中田さんにはこれも専門の領域ですが、大衆にはセックスとスクリーンとスポーツの3S与えとけば良いという話は結構正しいと言わざるを得ない。カタルシスを本能的な代替物で充足させて、不都合な課題から矛先を変え、ガス抜きする訳ですね。
結局プロパガンダのコントロール枠内の想定事象であって、この何年か、政治課題が上がる度に、それらに対して新たなポジションが生まれて人は割れ、割れたまま無駄な刹那的ショートサイクルのムードの競合いが続く。

実際、Twitter等は、ホイチョイ細切れカタルシス充足独り言メディアと相成り、Facebookはもう少し手の込んだ素敵生活称揚組合といった様相で、狙って作られたのではないかと勘ぐるくらいです。あれだけ叩かれた2ch掲示板よりむしろ劣化している様に思う。テーマに対する議論にさえならず、さざ波のようなラインダンサーが続くだけで、ちょっと無力感に苛まれてしまったというのがホントの所です。

 中田さんの本の内容の中で、個人的に、読まれる方に一番判って欲しいのは、「経済活動=共同謀議」と喝破している所です。「日本再占領」の感想でも、プリンシパル・エージェントの関係は、どうも普通の町場の経済活動と変わらないようだ、として書かせて頂きました。

http://zutsuki.blog.so-net.ne.jp/index/12

ビジネスを始めるには市場調査をしますが、それだけでは後追いの商売しか出来ない。まずは「目論見、仮定」てのが肝であり、皆、「うちのこのアセット使ってなんとかあの連中に売れないかなあ」、とかそういう事ばかり考えて食っているのです。

もっとも、株主説明責任とコンプライアンスにがんじがらめになって居る大企業は、やる事をアジェンダ化されてしまうんですが、それは置いといて、私は陰謀=事業目論見と言いたいくらいです。それが様々なポジションや大きくも小さくもローカル事情で行われているだけに見える。

 この辺、経済活動による納税ポジションの人間なら皆分かっているかと言えばそうでもない。

「おつとめ」的に社内評価で自己実現を求める公務員的ポジションの人々は、大きな企業ほど多くなる。企んで成功して積み上がった果てに自分が食ってる暖簾代が今ある事が、頭から抜け落ちている。学祭ネタではないですが、そんな社員を国民と置き換えてみれば、外圧で飲まされた規準に苦しめられていること含めて、やはりとても構図としては似ているのです。

私的な話で恐縮ですが、出向から戻り、昨年まで2年間注力した仕事で、大きいビジネスではないもののそこそこ人口に膾炙しているテーマがあります。昔大きかったけど今調子の悪い2つの業界と、伸び悩む+1くらいの業界の一部がそれで一息ついている。個人的にその仕事は私にとってはライフワークで、業務指示関係なくこの10年で3度目の挑戦でした。

強い人や安全地帯にいる人は、弱ったりリスクにさらされないとなかなか他人の話を聞いてくれない物で、最初の「陰謀」の際は、まだ誰も弱っていなかったので各業界聞いてくれなかった。ちょっと早すぎました。2回目の陰謀は、相手側がちょっと弱って一部賛同してくれた。でも逆に内部の対立もあって身内が途中で引いた。

今回追い込まれて来て出来る事が少なくなった「おつとめ」中心の身内が自分で始めようとしたのですが、対になる業界の協力が全く取り付けられていない。

プロトコルの違いというか、軍隊式の内勤の多い連中と外に向いた業界では、どうしても内勤業界は人慣れしていないだけに傲慢な態度に映り、対立が深まっていさえする。一旦はクビになりそうだった自分がそのタイミングで戻って来て、それやりますよと。これまでのノウハウで、相手の業界を走り回って機微扱いプロセス考えて整え、満願とはいかないものの、取りあえずうまく行ってます。

そんな3度目の正直だった訳ですが、経験的に一番の障害はなにかといえば、身内です。

物事成立させる為には、メジャーなプレーヤーに働きかけなければ何事も動きません。そこは、相手の業界を知って地雷を踏まない様に機微を考え抜いて進める訳ですが、当座安全なシェルターで「大人のエロ本」的に溜飲を下げているばかりの人々には、それが出来ない。特に内情苦しくなる程、仕事より椅子取りゲームに長けた連中が残りがちで、知見は偏り狭くなり判断できない。
 
メジャープレイヤーの賛同者をお呼びしたと騒いでいるので、どれどれと覗いてみれば、その業界の意思決定とはおよそほど遠い、むしろネトウヨとつき合っている事で逆に食ってるオピニオンリーダー的な人間だったりする。一方、私の様にガチで外部と当たる存在が、自分達の安寧なポジションと気分を保全して肯定する事にならないのであれば、合理的な大同小異の判断等つかず、ムードで、結果意思持ってネガキャン張って潰しにかかられるのと同じ様な事になる。

この様な自分の居場所から出た事が無い、社外の経済合理性を無視する、言ってみれば、ネトウヨ、反原発デモ的な連中が社内世論を形成してしまう事が一番の障害です。その後物事うまく行って後も、そのような人達は結局は変わりません。

むしろ、手柄を掠めとることを狙って自己実現だけ考えている連中の方が助けになる。その価値や、自分で出来ない事を判ってるからです。合理性を持っている。


ちょっと救いが無い用に感じますが、希望もあって、安全圏に居られずに、生活かけて、現場で丁々発止を一緒に経験する人達は学ぶ。かれらは傲慢になる隙間もなく、世論的に無理だと思っていた局面を工夫でなんとか進めて行く現場を目の当たりにするので、驚きや達成感も大きい。世論と現実は解離しており、世論はむしろ扱うものだとわかるようになる。


つまり、中田さんの言う事とおなじです。現場の合理性で世の中まわっている。


それを身で知らずにムードに乗って語ることなど、ここまでつらつら書いて来ましたが、物事進める上で障害でしかない事が多い。追い風になっても、課題と直接は関係が無い。


一家言あると自分で思うような人ほど、是非読んで欲しい一冊です。


しかし、このムードというものですが、やはり日本人は流されやすいのかもしれません。snsの過剰な隆盛というだけではなく、はるか昔から、重要なモラルやしきたりは、「外孫」にやらせると言うことがあります。つまり内輪だと同質化が強すぎて、外の因子を呼ばなければグダグダになるという事を昔から理解していたのではないかと思っています。


長くなりすぎましたので、この辺で。

「コンサルタントはこうして組織をぐちゃぐちゃにする」を読む。 [本]

先日電車待ちで駅構内の本屋を物色。

駅の本屋は棚が限られますから、普段新書の新刊くらいしか買わないのですが、「申し訳ない、御社を潰したのは私です。」というキャッチーな帯コピーが。
「コンサルタントはこうして組織をぐちゃぐちゃにする」というカレン・フェランという人の書いた本。手に取ってめくってみれば思わずそうそう!と吹き出す記述が溢れる。

冒頭読んでみると、

--------ここから--------

統計的には正確でよくまとまった研究でも、残念ながら経営理論の正しさを証明できる物はほとんど無い。多くの場合、経営理論は論文の査読や同分野の専門家同士による評価(ピアレビュー)や第三者による検証すら行われずに、従来の知識体型に組み込まれてしまう

---------ここまで-------

とある。
そんな素晴らしい、正しいスタンスで書いてしまったら、相当ガチンコの内容になるだろうと。今や大企業は戦略、プロセス管理、KPI、マネジメントにコーチング、人材育成、人事評価の期待貢献、実績評価に至るまで、無理矢理な翻訳語で意味解ってねえだろ的な状況も多々ありつつ、経営、事業運営、人事評価全部をそれに乗っ取り行っている企業が主流。

そんなこの15年ですから、さすがにそれをガチンコで全部ひっくり返すような事書けないんじゃないの?と思って目次を見る。

1.「戦略計画」はなんの役にも立たない
〜「画期的な戦略」でガタガタになる〜

2.「最適化プロセス」は机上の空論
 〜データより「付せん」の方が役に立つ〜

3.「数値目標」が組織を振り回す
 〜コストも売り上げもただの「数え方」の問題〜

4.「業務管理システム」で士気はガタ落ち
 〜終わりの無い書類作成はなんのため?〜

5.「マネジメントモデル」なんていらない
 〜マニュアルを捨てればマネージャーになれる〜

6.「人材開発プログラム」には絶対に参加するな
 〜こうして会社はコンサルにつぶされる〜

7.「リーダーシップ開発」で食べている人たち
 〜リーダーになれる「チェックリスト」なんてない〜

8.「ベストプラクティス」は”奇跡”のダイエット食品
 〜「コンサル頼み」から抜け出す方法〜

これはガチ(笑

メッタ切りの目次だけで、宝島のライターさんが書く諧謔本、社会活動家が書く告発本であったとしても十分面白いだろうと思う訳ですが、実際長年コンサルをやって実績もある著者が、全て自分の取り組んだ案件と知見を用いて解りやすく説明しており、コンサルの弊害をなんとか解消しようと努力してきた中で、何をやってはいけないか、意味があるとしたら何かを赤裸々に書いた良書でありました。

この本、特に、今時なグローバルかつ傾きつつある大手企業に御勤めの方、この10数年訳解らず導入され社内に混乱が引き起こされる中で、絶対おかしいだろ、と思いつつ、最早その遂行が評価になるのでしょうがなく折り合いつけてるとお嘆きの貴兄(はとんでもなく沢山居るだろうと推察しますが)に猛烈にお勧めします。

読んだ人は、幾多の悲喜劇を再体験し、かつそのバカらしさの説明ができる様になるでしょうし、もう1冊買って、手段が目的になってしまっている連中に送りつけたくなるであろう事必至です(笑

世の中の大抵のウソは、架空の事象を追加する事でなく、ある事を意識的に言わない、主体を変える、時系列を曖昧にしたりズラす事で出来ているというのが何度か書いてる私の持論ですが、証明されても居ない理論の帰納やら演繹やら微分したものを確定事項としてセットされた、ツール類を完璧に回そうとする事のばかばかしさを、雨後の筍のように湧いては消えるダイエット法と変わらないと解りやすく言ってのけてくれます。

戦略そのものも、立案時に状況を確認する以上に大事な意味はなく、幾多のツール等も、良い的確なコミュニケーション以上の意味はなく、全ては固有の環境の元で考えて行かなくてはいけないと。ツールの進捗や指標だけを評価の基軸とする事のバカさ加減、これが読んでてしみじみよく分かります。日本は過剰なまでに、まるで「○○道」の様に行う人々も居て、やっぱりその辺民度かなあと思ったりしてしまいます。それだけやってて食えるなら頭使わなくていい分楽だからね。

 最後に別の視点で少しこの本を捉えたい。

このblogでは、結構カレンさんと同じ様な事を沢山書いて来ました。昔はこういう事を社内の人間に言えば、話しにくいヤツということになりましたが、カレンさんがいるからもう百人力さ!(笑)つまりは、言って良いという事なのでしょうかね。

実際この辺は、竹中、小泉政権主導で最も花開いた領域です。
規制緩和の売り渡しを進める道具として、骨太にやって行く為に皆さんコンサル的手法を導入しなければ行けないと、それが企業のコンプライアンスやアカウンタビリティにマンダトリな(笑)事とされ、やらないとグローバルなエクセレントカンパニーになることは出来ないし、各経済誌も煽るプロパガンダの中で、株主と役員主体の報酬へ給与からごそっとシフトし、ホワイトカラーもエグゼンプションで、さもなくば赤福だぞみたいな(笑

その視点と、事業意思をぶった切って、管理手法しかのこらないと言う点は、随分書きました。ぱっと思い出すだけでも以下のエントリで書いてます。

http://zutsuki.blog.so-net.ne.jp/2013-08-25
http://zutsuki.blog.so-net.ne.jp/2011-12-04
http://zutsuki.blog.so-net.ne.jp/2011-11-06
http://zutsuki.blog.so-net.ne.jp/2010-12-18
http://zutsuki.blog.so-net.ne.jp/2009-10-12


私的には、カレンさんの本が人口に膾炙する形で出版された、という事は、

1.もう日本企業から吸い取ったからいいや、ガス抜きしよう。
2.悪いのはジャパンハンドから官僚でなくみーんなコンサルであったと尻尾切り。

なのだろうかと邪推したりします。すでに中小企業にまで増税同様の消費税up、大きい企業はコーポラティズム寄りになりつつある中、関係ないのかもしれませんが。

出版背景はおいて、本自体は、とても面白いのでオススメ!


「アメリカ政治の秘密」を読む。 [本]

新春一発目に何を書こうかと思ったのですが、
半年以上あっためてしまった古村さんの著作の書評を少し手を入れて上げます。
まず、この本は必読と最初に書きます。

古村さんの前書きに、お忙しい方、興味のない方は後半のジャパン・ハンドラーズの部分を先にお読み下さいと書いてあります。確かに後半素晴らしいのですが、ジャパンハンドの資料的に読もうとする方でない限りは、絶対に最初から読む方がいい。

何故か。
アメリカの外交政策を決める要素や、アメリカ内部の事情や流れとしてこうなっているという状態が、バキッと判るからです。自分の仕事、会社を見ている様な感覚でもの凄く淡々と判るんです。
恐らく古村さんがアメリカの大学で学び、一方統治される側の副島史観を持ってそれをするから、ムダ無く日本研究のポジションのリアルさがダイレクトに伝わってくるのだと思います。

前半を読んだ時思い出したのは、昔、仕事で、どう考えても売れないはずがない商品が不振で、実情探りに出張した時の事です。

海外相手に仕事をした事有る方なら頷く部分があるでしょうが、こういう場合、大抵販売会社がさぼってる、もしくは価値感が十分に伝わっていないと本社で騒いだりする。しかしながら実際はそれ以前に、その地域の店舗に置いてもなんだかいい知れぬ(笑)違和感があったり、パラメーターや使う際のプロセスが現地の仕様からどうにもズレていたりということが、半分くらいはあるものです。

その時も、西海岸のある店に最初に行った時に、いきなり、これ確かにジェレミーやゴンザレスが言ってる通りでどうにも難しい。いや判るわと体感してしまった(笑
古村さんの本の前半を読んだ時、その時のような気持ちがしました。

この本は副島先生の主著の続きとも言えるのですが、つまり、あのような文脈と常識が、あのようなダイナミズムで流れているとした時に、我々が日本で思って、グダグダ言ってる基準の常識や思い等は届く訳がない。

仕事であれば、商品の性能を出している部分はそのままに、市場の文脈で落ちるところに落ちる様にパッケージングを全面刷新する為の許可や時期やコスト検討にすぐ取りかかる。つまりこういう実感を得れば、閉じた中の理念でなく、プラクティカルな対策を考え出そうとする大きなきっかけになります。

どんなに学説を読みあさったって、原著読んだって、それが書かれたネイティブの国において、何を当たり前とした文脈でどういう「感じ」「雰囲気」で動いているのかは中々判らないので、こういう本は極めて貴重です。
この本の前半で表されている”ノリ”を、皆大学で肌身で感じるくらいになれば、多分日本は自然に変わるんだと思います。

でも絶対そうならない。いや絶対と言ってはいけないですが、極めて難しい。
それは、日本では、私の経験で言うところの、

「売れないのは販売会社がおかしいという日本の本社の方々」か、
「日本語を少し喋れる”便利外人”をあちらの代表と見る方々」、
もしくは「商売自体の経験が無いそれ以前のレベルの方々」、

で殆ど教育機関は占められているように思うからですね。

全部日本人の典型でしょう。
”便利外人”なんて、ああいうアメリカ内部のノリの中において、長年日本に張り付いて中央に出る事が出来ない連中って、どういう方々なのかと、こういう本を読むとシュッと解る訳です。

ロバート・ケーガンの本も翻訳されていますが、これもまた同じ様に面白かった。アメリカのネオコン自身の現在的主張を知るという意味もあります。
それに加え、きっと、少なく無い、本を読む知的なクラスのアメリカ人が、これを読んでフムフムと思ったりするんであろう筋立てというのは、こういうものなのかと理解する。

副島先生は今やもの凄く多くの層を相手にされているので、遥かに広い範囲の人々、つまり上に書いた典型の人々を啓蒙しなければいけない。しかしアメリカ政治の研究で言えば、古村さんの著作や、中田さんのオバマが成立する過程を書いたパワーエリート解体新書等で、「アメ政」の現在を読む事が出来ます。オススメ!

「中国文明の歴史」を読む。 [本]

岡田英弘「中国文明の歴史」読了。

 読もう読もうと思って積んで失念していたのですが、読んで見れば、正直「中国化する日本」の読後より遥かにインパクトありました。と書くとおかしい。その前提となる世界史、特に近隣諸国の歴史に私がものごっつう蒙昧だという事ですね。お恥ずかしい(笑

実際の所、読後、これまで読んだ中国に関する物を振り返ると、意味ないもの、夜郎自大&悪意のある物、インパクト有ったけどそうでも無くなったもの、そして正確にそれを把握している正味の物に別れてきます。戦前の読書人、知識人の方が、今より中国史等の理解は深かったでしょう。

たまたま前のエントリは旧約聖書を世界史と重ねて見た物で、昔の中東〜地中海周辺のユダヤ古事記という趣でしたが、この本はアジア地域を、特定民族の肩入れなく、入り乱れての壮大な通史となっています。ヨーロッパ史くらいの感じです。新書ですが、ノート片手に数回読まないとちゃんと把握出来ないです。これは。

結局、中国という国の枠や、核となる民族、言語がある訳でなく、流動的な民族の国々の中で、中原の覇者が王の中の親分となる、くらいのイメージなんですが、そのように聞いた事はあるものの、通史でなぞって実感しました。

すると、その上での我々日本は、良いも悪いも無く沢山登場人物が居る中の、中堅以下のワンオブ小国である事はもう間違いない所で、我々としては大陸に行くと、もう一つ王の上の概念の枠組みがあったと言う事なんです。
ただ、「陸の時代」の中国としては、攻略が苦手だった様に見える大陸辺縁の島国だったので、昔はアメリカ大陸に用はないですから、よろしくやっといてね、という程度で殆ど歴史に出て来ない訳です。

こんなに長い歴史の中で、南宋攻略別ルートの為に、世界最大の帝国を築いたモンゴル帝国の時代に2回攻撃されたとか、倭冦といいつつ大陸側の人が親分だったとか、そんな感じです。
秀吉の頃、国内が勢力が飽和してしまって、初めて他のアジアの国のような事をする訳ですね。半島に突然行って秀吉死んで引き返す訳なんですが、信長、秀吉、家康、この頃は大分世界の物事把握していたに違い無いです。
翻って国内を考えると、鎌倉以前の国としてのガバナンスは、これは縮小版中華的で、緩かったんじゃないですかね。

で、日本はそうした周辺のその他大勢だったのが、欧米の地政戦略に組み込まれて維新を経てからの存在としては、中原の覇者的歴史を終わらせ、文化的な影響を多大に与える、モンゴル並のインパクトを持つ国に初めてなった訳なのです。通史で言えば。

文化という意味では、元々日本の言語文化は中国の漢字によって成り立っている訳で、侵略という方の意味でなく、施政にはずっと使われていた科挙、官僚等のシステムや、言語、知識の体系が、新しい世界のダイナミズムで使えなくなった時、先にそれをこなしていた、日本の漢字ベースの翻訳システムによって多くが輸入されていったということになると。

昔化粧品のFMのCMかなんかで、革命も自由もその他重要な概念がかなり日本語であるとやっていて驚いたんですが、戦中から今の時代にかけての、国民国家的になるその過程で、近代国家に具備される様な概念や、共産主義的な思想そのものを含め日本の翻訳、解決策がベースとなったという事ですね。なるほどなあと。

各国と国交を結んで、鄧小平以降の経済施策で近代化を成し遂げた今は、その上で、直接に西欧の事物を吸収する素地が出来ていて、マナーやソフト面以外、日本的な物はお役御免になりつつあるという具合でしょう。

その上で、変な話、日本を敵にして愛国を煽り、官製きっかけとはいえデモも起こる状況、これは、1党であったり、まだ成り切れてはいないかもしれない、超巨大な国民国家として初めて纏まり切る為には、出ない方がおかしいというくらいの物でしょうか。国の上、でなく、1近代国家になった際の「国民」のアクションとしては。

妬み半分で、中国が潰れるとか言って溜飲下げてる人がいますが、大体紛争になんかなったらこっちが大変な訳で、いろいろあっても経て来た隣国として、モダンな方法でつき合って行く事以外に何かあるんでしょうね。
大体に置いて、こういった歴史の流れに身をおいている方々から見れば、アメリカに首根っこ掴まれてる姿は、逆に良く見えているのだろうと。

読んで、思惑ありの仕掛けに一喜一憂する事のアホさ、本屋やネットに溢れる煽りビジネスの下らなさを実感出来る1冊です。

この辺で。

「戦後史の正体」を読む。必読です。<短評> [本]

 先のエントリで書いた、2009年頃書いた旧約聖書と歴史の読み合わせの日記ですが、その前に、話題の「戦後史の正体」の感想を。

凄い本でした。ちゃんとした感想文、書評を書こうと思いながら時間が無く、またの機会としたいのですが、”「戦後史の正体」以後”と言う言葉が出来るのではないかと思える、「属国・日本論」クラスのインパクトがある必読書です。

昔小室先生の著作の書評で、

◇◇◇2010-09-20のエントリよりここから

そして最後、アローの背理(ジレンマ)が簡易に説明されます。
B>A でC>Bであれば、C>Aである推移律が保持された状態で、このABCを自民、共産、社会で判りやすく説明しているのですが、こういった推移律が成り立っている3人が、2政党の組み合わせで投票をした場合に、個が推移律に従った選択をし、民主的に投票したとしても、全体として不合理な選挙結果を生む事が簡単に証明される。

◇◇◇ここまで

こういうジレンマの説明がある事を紹介しました。
恐らく、こういう事を普通に織り込んでプレーヤーを育て行っている米国の工作、戦後の戦略から外れる自主路線の首相達にそれが仕掛けられ、従米に引き戻される流れが、証拠となる参考文献等をきちんと引用されて、戦後通史で書かれています。

ベターかつ実現可能なオプションを進める勢力に、実現不可能なベストを求める勢力をぶつけて割る事で、結果は現状維持の望ましく無い状況に落ち着く。中でも、岸総理と安保騒動の下りは白眉で、原発に関する現在の動きに被せて考えたくなるポイントです。

このblogに個別に書いて、疑問を呈していたり、訴えていた事が、大抵は網羅されていて、まさに高校生レベルの知識の私みたいなのをサンプルとして想定し編まれた様な著作でした。
判りやすく、かつ参考文献、資料をきちんと引用し、タイムラインとして正確さを守り書かれた歴史書です。
殆どの世のウソは、言わない事と時系列のごまかしですから、そういうことが無い様に注意して書かれている。

長く外交の現場に居たエリート官僚の方は違いますね。昔、官僚OB著作を十把一絡げに印象を述べてしまった事が一度有ったかと思いますが、アメリカの圧力を正面から取り上げた点で、孫崎さんは他の著者とレベルが違いました。失礼しました。

最後に思う事ですが、戦前からの流れにおける「自主路線」の受け皿が、官僚機構の中には最早消滅してしまったとすると、そして「エトス」的な物も断たれてしまったとすると、自主路線という物は果たして取りうるのだろうか、と、いつもここで発している懸念に戻ってしまう所があります。

ただ、この本の内容が、主権者を啓蒙し、コモンセンスとなるので有れば、ゲームの先に違うオプションと動きが生まれるでしょう。そして、ベターを選びとって行くしか無い。

結局そこそこの短評になってしまいましたので、バイブル&山川読み合わせは、
次回にいたします。

それでは。