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育児介護等。 [日記]

暑いですね。

母をデイサービスに送り出してつかの間ホッとする時間です。
ケアワーカーや病院と相談、、身の回りのこと、会社への報告等、その後を段取りしなければいけない。
今日もなかなかキツイ日です。

父が入院し、仕事を休み、実家に戻り認知症の母の面倒を見ています。

一日大過なく生活を保持しても、終わりが見えない同じ事の繰り返しですが、これまできちんとわかっていなかった、子育てのや介護の社会問題や事件の理由もだんだん分かるようになりました。

認知症介護の方は、本質的な状況そのものが改善される事は無い。

子供の様にいずれ何かを覚えて自立する訳ではないし、感謝をされる訳でも無く、むしろ会話があまり成り立たない中での共感の失敗で、罵詈雑言を浴びせられたりする事もあり、少しづつ手のかかる領域が増える。偶に戻って喜んでも、それが続くのは難しい。

幼児でも、認知症の老人であっても同じなのは、こちらの睡眠は不足し、込み入った作業は難しくなり、頭は靄がかかったようになる。気の利いた事をするヒマもないし、神経が回らない。

間に合わせの物は間に合わせで済ませ、自分の頭も、面倒見ている人に引きずられるかのように、社会の表層で語られているような事については精緻に考えることが困難になってくる。子育てマンガなんかで良くある、大人と喋りたいというやつですね。

 一方、ミクロな目の前の生活を成り立たせる事、食事や掃除、健康に必要な事にはぐっと精緻になる。
これはかなり女性目線という事になるでしょうか。おおざっぱな男の家事の時と異なって、買う量等も、飯を出す所まで、なんとなく把握できてくる。一品と副菜が菜物で大方成り立つように工夫する。それがなんとなく出来てくる。これも、少しでもいいから自宅で火を入れた物でないと、心が荒んでくる。

なにを買い置いて置かなければならないか、おさんどんが早いか、洗濯が楽か、清潔に保てるか、そろそろ何が足りないか、等勘が効いてくる。自分の物もミニマムになるし、無理の無い形を選び、これまで自分の人生というのは、どれだけ意味の無い無駄で覆われていたのかと思うようになる。いったい何で埋めていたのかと。

煩雑な手続きを経ますが、結果保育園、デイサービスに上手く預けられればそれでも随分いい。
送り出して、次の用事までのほんのひと時、暑い日に冷たいアイスコーヒー、それがインスタントを溶かした物であっても、一人で飲むそれは、小さな命の洗濯になる。

このあたり、お金を出すならむしろチェーンのコーヒーより、もう少なくなりましたが、喫茶店の本格的なコーヒーが飲みたい。
得られる経験という事には、むしろ感覚が鋭くなる。

その他にいろいろ気づく。
軽自動車に乗れるか、免許があるかは、地方だけでなく郊外のニュータウンの様な場所であっても、ライフライン並みの重要度と痛感する。無いと有るとで暮らしのレベルが全く変わってしまう。

「ゴミ屋敷」と良く話題になりますが、認知症気味の独居老人等は多いだろうし、昭和のおっさんなど自分で飯さえ作れない人が大勢いたし、また生活保護を受けていれば移り住む事も多いから、分別ルール等配慮しがたくなって、使えそうな物を取っておく性癖と併せてなんとなく貯めこむ所から始まるのだろうか、等と思う。

漸く慣れて、それでもまだ、自分が家で面倒を見る事が出来る様な、時間的、経済的に余裕のある立場ならいいのです。
この辺正直適性があるから、出来る人と出来ない人がいるのも分かる。

自分は男ですが、このままやっていく事はできるだろうと思う。父が戻ってそちらの介助が増えてもやりおおせる自信がある。そこに自分の子供が加わっても、できるかもしれない。

 しかし、大きな問題はお金だろうと思います。働かなければいけない。

大きな企業では、メイン事業の中核人材であれば、逝去と弔辞等でせいぜい1~2週間程度が限界。
それ以上の離脱でも重要な局面の仕事である場合は外されるだろうし配置転換もある。長期に渡れば無給の休職。

スキルワーカー系であれば、テレワークなどの制度に合致しやすいかもしれない。しかしながらそれは、コンプラ等にコンシャスで、ダイバーシティの対応がプロモーションになると判断しているキレイな企業のお話で、今日日大抵はクビになるでしょう。

大黒柱がそうせざるを得ない場合、なんとか得た保育園やサービスに金を払いながら、その短い時間の間で出来る仕事しか選べない事になる。主導権をとられる。
今は基本の暮らしはそのレベルの賃金では賄えないから貧困に落ちてゆくと。
多くの社会問題は、こういった流れの中で起きてくる事を、自分も入口に身を置いて、身に染みて感じています。

散漫な話になってしまった。
この辺で。
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みんなある意味認知症。 [日記]

言葉を選ばずに言うと、疫病神というような存在がありますね。

そういった事や人等、誰しも多かれ少なかれある物だと思うんですが、振り返ると自分は割とそれを取り込んで生きる方を選んで来たような所があります。

それは長年の経験から、最後には良かった事が多いからで、最終的には意味が無い神様は去るという事もある。自分にとっては、そういう存在が、世の中と自分を固定する新たなくさびになってくれる場合も多い。

でもこの歳になってみると、見えている道のりが、もしかすると、自分の人生でこなしきれないかも、という場合も出て来る。そう言う時は途方に暮れる。どうした物かと思う時があります。

きりがないのに自分にはきりがある。

差し詰め、仏陀の出家はそんな頃かと想像したりしますが、極端な話をすると、認知症の介護の果ての事件は、そういった事に考えが全く及んでいない人が、どうしようも無い所まで追い込まれ、その果てに起るのだろうと思います。

子育てや介護を経験してこの世を振り返ると、どんな人も所詮(自分も含め)皆認知症とそう変わらないのではないかと思う。

自己保存の強い人程、他の回路が遮断して認知症的になる。その場において物事広く見られる人は、カタルシス的不満のゴミ箱になる。

そんな人はどうしたら良いか。

結局はある程度個々の欲望を認めながら、宗教やイデオロギーに依らずに、大きく、廻りの人にとってサステイナブルで良い方向に向かう様な構えや動きを間違わずに取れる人でいる、ということになって行くんだろうと思います。

ここで、小さなカタルシスの為の、嘘や欺瞞に耐えきれない人はちょっと難しいのだろうなと。そして逆に、大きな事が、小さなカタルシスの為に無かった事にされてしまったり、その機序を使われる疫病神も多いのだろうと、そんな事を想像するこの頃です。

今日は短く、この辺で。

タグ:介護 認知症
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家について。賃貸か購入か等々。 [日記]

※少し加筆、修正しました。割のいい生命保険変わりである事等(5/7)

ご無沙汰しております。

そろそろ我が国の現政権も終わりに近づいているように感じます。長く続くだけ醜聞が溢れ出すでしょうから、良い所で辞めるのではないか。

ところで、「家を買うか賃貸か」これは何時でも人気の話題ですね。

大抵、「買う方は金利や修繕コストがあるよ。借りるのはとっぱらいだけでいいけど残らないよ」的流れの話となりますね。自分の経験では、振り返るとこの話題は割と明確だったのですね。いろいろお悩みの方もいるでしょうから、こんな人もいるという事で書きたいと思います。

ちなみに、私は格段アドバンスドな運用(笑)等していない、赴任手当、管理職給与等得ていない普通の首都圏サラリーパーソンです。

まず20代、社会に出てしばらくは、買うなんぞ思いもよらないのは皆さん同じでしょう。

給料低いし、精々便利な安い賃貸見つけて精一杯楽しく暮らしましょうと。
結果、職場の最寄り駅まで10分の駅、そこから5分以内の至近、普通一生縁のない様なちょいと特殊な風俗街に近い物件を借りました。
1K4畳半+移動ロフトがついている先輩の縁故の物件で、相場より安く紹介されそこに住んだ。人生的には面白い貴重な経験をさせて頂きましたけども。

30歳あたりで、呼ぶ人限られる様な部屋もそろそろ問題だなと。

地元側に更に10分電車で下った人気のターミナル駅で探す。
ターミナル駅から私鉄の一駅目徒歩3分、ちょっと広目の9〜10畳の1Kを借りる事になる。バストイレ別。清潔で築2年。管理費入れて8万円台。新しいのに安かった。有名な料亭の従業員借り上げだったのですが、ワンフロア減って急遽埋めたかったようです。
西日がキツいけど、1Fがほぼ全部駐車場の構造で、バイクも置けたし、お店広げても余裕のある作りで、社会人的青春を楽しく暮らしました。

40歳になる前に、一般的には結婚する人は多い。

恐らく物件買う買わない議論の大半は、このあたりの年齢の方を対象にしている気がします。奥さんと2馬力であれば、手ごろで住みやすいマンションや鉄骨系賃貸、趣味が合えば昭和な一軒家等選んで楽しく暮らし、子供をもうけるなら、それも踏まえてゆっくり考えれば良いと思ったし、そういう皆さん見ていると、今でもそう思います。

人並みにちょっとはいろいろあったとして(笑)結果、独りで四十路を迎える。新しかった1Kもさすがにくたびれ、モノも増え、いい大人の住む部屋ではなくなってくる。中年の住人も居ましたが、皆単身赴任系です。

その時初めて「買うのもありか」と思う様になる。
取敢えず、自分の資産等を纏めるとどうなるか、払えるのはどの程度か家計簿付けたりしはじめる。これが結構自分を知るという事にもなり、自分の先細る人生を見てしまったりもする。ここでやはり持家、賃貸関連の話を散々読むのですが、果たしてここでオレ迷う必要があるだろうかと。ま、無いんですよ。安い所に住んで来た物ですから、グレード上げるには自分的に大変な金額になる。ケチなんで年間150万も掛け捨ての賃貸に払うつもりは全く無い(笑

で、物件を探す。独り身故、安いのを買ってしゃれたリフォームにする事も考えたのですが、結局相当の数を見た後、立地、築年、構造と、王道の選択をしました。一人ぐらい増えても良い間取り、角部屋で抜けていて、利便性が高い立地、環境も街なりに良くて嫌悪施設がない。築年、工法的に10年以内。十分貸すなり売るなり転がせる物件ですね。

土地を隅々まで知っている近所で1年半近く選び抜いて購入と相成ります。建具が良かったので、テイストを壊さない様に一部壁抜きと軽リフォームだけ行った。短めのローンで賃貸時と同じ出費レベルに抑える為に、頭を結構入れてしまう。これもどうかと言われますがそうしました。好みの問題ですが、後から考えるとちょっと良かった。振り返ると、結局「家を買う」ということもあるんですが、初めて資産扱ってみる側面が大きかった。

50歳を目前に、遅まきながら結婚もして、子供も出来る。

手狭になったし、準地方に住んでいた家内は環境変化と育児もあってノイローゼ気味に。3年保育ならそろそろどこかに定住を、という事になる。そこで郊外の建て売り等見るのですが、このあたりが思案のしどころです。

というのは、若い方には想像つかないかもしれないけど、最長ローンがもう通らない年齢になっているのです。後10年ちょいで、昔風の定年。支払い能力、損得の前に、最早大きなお金が借りられないという事態が迫る。その時にいろいろな事が頭を巡る。

もう1つこの歳で考えるのは、所謂団信。中高年に差し掛かってガタも出て来る。万が一のことがあれば、支払いは免除される。つまり生命保険です。家は妻子に残せる。それにしても、上限ギリギリで借りても、首都圏近郊で少し便利な、タワーじゃ”ない”75平米以上の新築マンションが買えない金額なのです。

マンションを考える。
いいマンションは価格が爆上げしている。今利便性が高くて安い物件は、何かと訳ありです。一方最早マンションの修繕や管理費等も理事もやってよく分かっている。

土地付き戸建てを考える。
探しまくるけど、+電車で30分くらいまでの土地で利便性のいい物件は大変高い。かつ中古はそのまま住める物は少ない。リフォームと修繕に、中古マンションくらい掛ける気合いがないと、思った様な暮らしにならない。建て売りは環境、好みの選択の幅が極めて狭い。

一方で、終の住処という問題にもたどり着いた。「いつかは」はもう無いのです。
田舎で晴耕雨読に釣り+バイク等と考える訳ですが、ローンが組めなくなって行く上に、子供が育って今の家の後に理想の物件を買えたとしても、その時は後期高齢者に近い。

思う様に体が動かせない自分はいったい何を楽しむというのか。

この間、住宅展示場等を見ます。すると何をどのように実現するかの最新の方法が大凡わかる。これは中古でも建て売り狙いの方でもオススメです。イメージの湧き方が違う。営業がしつこいですが、そこは我慢。

で、結局どうしたかというと、なんとか通勤可能な距離でいつか住んでみたかった周辺で土地を探し始めた。海が近い土地で3枚程いい場所があったのですが、地元に行かないと判らない土地もあります。
そういった不動産情報に出ないもので、ツレの実家至近で、海も見え、駅からも数分というこれ以上無い土地があり、売主に直接あたり購入できました。

大きな畑付きの別荘的物件を3枚に造成したものなので、少し割高ではありますが、接道、地形いずれも素晴らしく、奇麗に分譲された首都圏にもう少し近いエリアからすると、半値〜2/3くらいの価格に抑える事ができました。

上物は、サラリーマンが格段のサポート無しに良いものを建てようとする際、必然的に幾つかのハウスメーカーに決まってくる。そういった1つで、地形に合わせ注文設計しました。注文住宅の戸建てなんて贅沢だと思っていた訳なのですが、同じ価格では、以前住んでいたエリアで駅徒歩10分越えても、75平米の区分住戸も買えない。

注文だとなんでも出来るんです。ビルトインのバイクのガレージも、やはり贅沢だと思っていたんですが、実は建坪に入らず、外壁仕様なんで工事費も安い。戸内のクロークなんて作るんであれば土間兼駐輪ガレージを作った方がいい。これも注文でないとできません。

持ち家だったマンションですが、新居を建てるにあたって売却しました。
手放す前提で選んでいたので、今の時勢、購入価格より上で売れ(経費含めるとトントンですが)、結局ターミナル駅近分譲タイプのマンションの6年分の家賃が浮いた。これは大きかった。

なので、人生のあのステージの自分には、購入の選択肢しか無いと思いましたが、その通りだったということになります。また頭金多めにいれていたので、残債が少ない事で審査は通りやすかった。一時期はこのローンに+土地+家のローンが別々に始まるので、総額や、本数で通らない金融機関もあった。
残債が多いと、ローンはマンション売却ありきになってくるので、相当条件や日程、プロセスの選択肢が狭まる。

一方で、今のこの田舎の家は、リセールで高く売る等望むべくもない。
上物は一気に償却します。しかしながら、次を考えなくていい。
いつか住みたいと思っていた理想に近い土地に、自分たちの好きな様に建てて、まだ体が動く年齢から、生活を楽しんで行ける。家の目的は売る訳でなく良く暮らす事ですから、いい落としどころかなと思っています。心配していた通勤も座れますので、結構これもこれでいい物です。

 空き住戸問題が大きく話題になり、これからすぐに、家もマンションも、私等が苦労したローン、やりくりが不要になり、選り取り見取になるのかもしれません。ですから、参考にはならないかもしれない。

でも、一生を左右する大きな決断なので、多くの人が悩んで、解を探して迷っています。自分もそうでした。でも、これまで書いて来た様な物は見た事がなかった。
投資の側面と、住む、暮らすという本来の目的は、自分の置かれている状況、懐でまったく異なっていて、例えば人生の残り時間が殆ど無くなってから、望ましい家を得ても仕方が無いし、若い時に大きな家を建てるのもまたナンセンスかもしれない。

年代やステージで考えながら、通り一遍のノウハウに左右されない方が良い、ということだけは迷っている人に言いたい。

そんな風に、ちっこい書斎の窓から海を見つつ思う次第です。

この辺で。

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シン・ゴジラの感想。 [日記]

シン・ゴジラ見ました。
夏休みの感想文です。

まずいきなり感想を言いますと、これなかなか面白かったです。

初代ゴジラのあらすじをwiki等で見返すと、大きくは1作目を大事にリメイクしたといった印象。出現の事由、核の問題、政府の対応、パニックと、脚本の筋立てや大きな流れを踏襲しつつ、当時はビキニ水爆、今は震災、福島の原発爆発という背景の元作られている。

カット割やアングル、それに合わせてCGが良く出来ていて映像は全編リアルで素晴らしい。
ゴジラの出現、移動ルートは八ツ山橋から何から、首都圏左下人生を送って来た自分には、大変良く見知った場所のオン・パレードで、それでリアルに感じるのは、良く出来ているという事だろうと思います。映画館で見るべき映画です。

ゴジラの足元で起る市街の破壊のシーンも大変リアルに描かれている。
今回のゴジラは擬人的な部分は無くて、新生物かはたまた神かという存在ですから意図のある「攻撃」をしてくることが無い。ただ自然災害の様に進んで来る。最初の出現は津波、2回目は原発を想起させる。

どうしようもない圧力の中、逃げ惑う人々の演出はいちいちウワーギャー的な演出が無くて、遠方カメラか、人々目線のリアルなパニック状態なので、震災が想起されて正直見ていて辛いシーンもあった。
同じ感想を持つ方は東日本には多いと思います。
同じ光景を嫌と言う程見た我々は、その中で命を落とす人々にどうしても気持ちが行ってしまう。へんな話、怪獣映画で、破壊されていく街や車の中の死に行く人を思って心が辛くなる映画というのはこれが初めてで、今の日本人にしか表現出来ない物かもしれません。

俳優さんの演技は、これほぼ全編、脚本を進行させる為の1アイテムという感じで、無駄な泣き、一人よがり、最近多い胸郭の薄そうなヤンキー叫び(笑)等ありません。
ゴジラの野村萬斎さんのモーションキャプチャ以外に賞が取れそうな演技はまったくないのですが、玄人受けする豪華キャストがポンポン台本進行上の役割をこなして、これもまた良いです。脚本を邪魔しない。
そうでない部分が一点だけあって、なんぞご都合があったかなあ。。と勘ぐるミスキャストが(笑)。それについてはまた後述します。

 内閣、諸官庁にの動きも、超巨大核融合炉生物みたいな物が都心をゴロンゴロン勝手に転がっていったらどうなってしまうかという事を良くシュミレートしてあります。
自衛隊の稼働条件、地位協定、国連、連合国安保理等、一通り含めてあって短い映画の中で良く構成したと思います。これは殆ど今までの映画では無いのではないか。

内閣諸官庁の様子に関しては、これはとても慣れ親しんだ感覚がありまして、何かというと自分の会社ですね。
結論に至る過程、条件等、アカウンタビリティをいちいち整え、会議開催と承認プロセスを経る。殆ど説明の為の説明に終始する様な状況は大会社と同じ。実際会社内でもそういう愚痴を言う人は五万といますが、それはある程度真実です。

映画でありがちなケースでは、意味無し会議を無視して、ヒーローが活躍するということになりますが、実際にはそれは起らない。
ヒーローの活躍にも裁量権と承認がいるのです。好ましいと思ったのは、一応対外的に踏まなければいけない段取りという感じで描写している事です。そうしないと、諸外国と協力の交渉は出来ない。実際企業も、全く別の力が独自に外部と交渉、発表、執行するという事等ないのです。それは単なるクーデターですから、会社が割れてしまう。

戦後は、ギリギリまで余裕等無くなって判断停止すると、いつもお上に具申する訳ですね。アメリカです。「所詮我々お前等の属国だからな」と、アメリカの特使に自嘲的にいうシーンもありますが、実際、福島の原発爆発の際、無人機出して、空母出して、米軍に降下もさせ、F2に指揮官置いている事実があります。その辺モチーフにもなっているのだと思います。

昔blogにも書いたのですが、2011の7月に、バイクで原発周辺に行ってみました。すると、GE、東芝他、民間会社が20キロ圏ギリギリのあたりで、対策本部を幾つもつくっており、突然何も無い筈の森の中に、車がぎっしり停まっていて驚いたりしました。ゴジラならぬ福島第一の民間収束のチームだった訳ですね。

もとい、首都圏民の避難等とても完了しない中で、自衛隊の総攻撃をせざるを得ない状況でどうするか、首都が破壊されたら米軍のある立川に移される模様、脅威が他国にある%で及ぶと予測されると、国連と言う名の連合国安保理は、日本を石棺にする決議さえ出るという事等、事態の深刻度が増す度に自国と周囲の判断がどう進んで行くのか、良く語られている。

 で、忘れておりましたが、その日系アメリカ人の重要な役柄は、とても人気のある女優さんなんですが、登場すると、どうも映画が、ちょっと頑張ってる外資の女性キャリアのドラマみたいになってしまう(笑

彼女の役柄が、もし、ダニー・イノウエ、広島出身の移民にして422部隊の勇者、名誉職とは言え、何かあればアメリカ大統領任命される第3位に付き尊敬を集めていたダニエル・イノウエさんの子孫という設定だとするなら、これは厳しい。
しかも、そこそこ議員か官僚だったか、七光りはあれど、向こうの世界で切った張ったで生き抜いてきた女性で、将来の大統領候補となるとちょっと。。。

日本、東アジア風の佇まい、英語を喋り慣れていないおちょぼ口で、アメリカで生まれ育って頭と言葉で駆け引きしながら議員までになった格を出すのは、よっぽど英語に長けてでもいないと難しいのでは。向こうで生きた日系人という設定だけでも厳しいのでは。

彼女との会話に、”日本は属国”話があったりする訳ですが、副島先生の功績を感じるのは置いといて、北米で公開した時誰コレ?と言われかねないんじゃないかと。人気もあり、良い女優さんの様ですが、「どの作品に出てもその人」タイプの面もあり様にお見受けし、ちょっと向かない。

そう思った所で気付いたのが、初代ゴジラが、海外では核絡みの設定削って、欧米の記者の目のシーンを差し込んで公開された事で、もしかすると彼女絡みのシーンは日本向けオンリーなんではないか?

ネタバレ過ぎて、これ以上は書きませんが、このようにサイエンスフィクション映画として、リアルさのある面白い映画でありました。オススメいたします。

ただ、この映画に、何か震災対応の真実等を見ようとする事は止めた方がいい。フィクションですから。その場合はちょっと上映館少ないですが「太陽の蓋」を見るのが吉です。

この辺で。
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【後半】日本語で生きる事について。 [日記]

 前回、「昔は英語屋さんが居たけど、15年前くらいから変わった」という話を書きました。英語屋さんと呼ばれる人が居るという事は、最終的には日本語主体で全てを語る事を前提として、それが出来た、という事かと思います。

 この1年、海外出張もコミュニケーションも割と少ないのですが、今やっている調査に関しては海外のリサーチやIR資料は全部英語ですから否応無く使います。こんなドメスティックなロートル中年でも、必要性の是非、特にこれからの世代のそれについて疑う余地はありません。むしろ中国語が同じくらい重要になってきているので、残り少ない企業人生でやっておくかどうか悩んでいる。
そんな時代やさかい(笑)、幼児から英語学習をさせる事は格段にスペシャルな事ではない。それこそドメスティック幼児教材の王道、”しまじろう”にも普通に英語の教材がある。幼児から他国語を学ばせる事の議論もありますが、それについてはとりあえず置きます。

 一方で日本語を使える領域や、伝わるニュアンス等が減っているのを感じる。ある程度は時代の流れと思っていますが、これまで書いた様な時代も過ごして来た自分には、実はそれは結構大きな変化だと感じます。「最近の若いのは」的ありがちな文脈ではなくて、この3百年くらいのスパンでの話です。

旧時代、「他国語で得たアセットを、日本語の枠内に積み上げる事、それが当たり前の時代」、海外の最新事情、学問成果等は、おおよそ10年遅れで日本語になって入ってきました。日本語訳が出ないのにやきもきして、このBlogにクソ英訳を乗せたナオミ・クラインなんかはまさにそうですね。日本のこれまでの流れのなかに配置されて纏められた世界観を持った訳本となって入ってきた。つまり解題され文脈に位置づけられて輸入された。

ネットの時代はビジネスのスピードが速く、個々人が海外のニュースに常に直面していないといけない。判る人だけ先に外国語で読んで、判らない人はキュレーション、バイラルメディア等を通じて入る。もうすぐAIにもなるので、1次訳は早い。きっと翻訳業もニュアンスを添加しプルーフする位になりますが。
逆に日本人思考、言語、文脈に照らして纏まった一冊として編纂するような作業は、これは減少していく。そういった大部の日本語を読む人もまたどんどん減っていますので、ますますちゃんとした形の翻訳にならず解題もされずコンテキストも共有されない、つまり、もう積み上がっていかない。

 もっと昔を振り返ると、戦後の途中まで、「英語屋さん」の代表格は、最終的には官僚(〜東大)であったと思います。計画経済で成長しましたから、とにかく日本語圏に囲った自国民に何を伝えるべきなのかそれを考えてやっていた。チャルマーズ・ジョンソンに官僚制を暴かれて、外圧やノーパンしゃぶしゃぶ以降、海外の影響が自分の財布にバッファ無く到達する時代になりました。最早日本語で世界の学問をある程度網羅出来る様に立付ける視点というのは消えつつある様に思いますが、それがいつ出来たのかと言えば、それはやはり明治期でしょう。

 その当時は、富国強兵を進める中で日本のコモンウエルスを周囲に展開し、日本語での世界を作ろう(というより、英語でやるという環境設定があり得なかったと思いますが)と、全体主義、帝国主義的エリートが自らは優れた語学力を持ちながら、輸入と日本語化に励んだ結果です。これが可能だった国は、恐らく当時はアジアには無かったと思います。

今日本を追い抜いて2Gの世界を作りつつある中国も、自らの文化が生み出した漢字を日本が使って西欧の概念、学問、社会制度の輸入をした結果を学ぶ事で、古い文化とそれを為す中国語から、近代化して行く為のレガシーのアセットとして基礎を作った側面があります。孫文の時代は留学生だらけだった。

 明治大正に生み出された、今に至る日本語は、それ以前からすればかなり変革された新しい物で、それがニューメディアに乗って、新聞の事ですが、小説、文化欄含めて人々を啓蒙していった。日常から先進的な学問領域までをカバーする、標準語的な日本語の構築、これはとんでもない労力のいる一大プロジェクトだったでしょう。

少し脱線しますが、当時の日本は、世界平均からすればそれなりの識字率であったと良く言われる。一方で言語と言うのはローカルの口語から学問を著すまで、随分幅のあるものです。一例を上げると、自身の祖父は筆で立派な字を書いた物の、挨拶、仕事等で取り交わす書面等でしか使う事が出来ない証文の言語で、本当の気持ちや考えを字で表す様な訓練はされていなかった。
また、祖母は書く事は出来なかったし、確か読む事もあまり出来なかった。村のゴッドマザーの様に尊敬されていましたが文盲だった。でも彼女の暮らしには要らなかったし、祖父には勘定や手続き手段だった。今の人の様にオナニー的にモノローグをblogに書きなぐる等、あり得なかった。祭り、法事等で、精々唄などで少しハメを外したり、息を抜く。これは、私がすでに生を受けている昭和中後期の事。
未だ、明治の文豪の啓蒙も届いていなかったのです。尋常小学校のレベルが最高の世代も多かった。本も読まなかったと思います。

私が幼稚園生くらいの年齢まで、いまから考えれば殆ど江戸との違いはないのではという感じで、風呂もかまども薪で、いまじゃロハスというのでしょうか。このあたり全く一様ではなかった。
彼らにとっては、実は身近な「英語屋さん」ならぬ日本語屋さんが居ました。「先生」です。代筆、代行等をやってくれる、村に数人居る学のある人。小学校の先生等はインテリの頂点でありました(笑

 戻りますと、そんな中、新しい標準語的な日本語の構築は、先に中国の事を書きましたが、新時代向けにマンダリンを整備するような物だったと想像します。実際日本も、江戸までは、漢語が上層のたしなみだった訳ですね。で、その間戦乱で国を割られた中国が逆に学びに来た。この視点は結構語られない事の様に思います。

それを振り返った上で。今の日本語の状況をどう考えるか。

日本語世界を構築した物の、WW2で敗戦国となった。その後経済大国として成長したけどもまた敗戦です。いまや没落の一途。

そうなれば、日本語で積み上がる文化や学問も無く、日本語を学ぶ必要性は周辺国にはもう無い。老人が増えて世代が消えると共に過去の「日本語に世の中の知識を定着させる」為に努力するエトスと積み上がった多様性と広がりも継ぐ物が無く消えて行く。
新しい世代は、そんな過去は知らないし、明治からの積み上げが分断されたまま、積み上がらず、自分の実務に必要な事は英語や他国後で積み上がっていくという形になっている。

つまり、日本語の必要性はどんどん減って、極端に言うと、グローバルの仕事をする人員が、里帰りした時に昔の楽しかった思い出や、あれを食べた、ここに言った、親類はどうだと、そういう事を近しい人と話す郷愁の現地語、それに近くなって来ており、その流れは止められなさそうだという事です。
ヘジェモニックな動きが取れない一国家のローカル言語になり、自国でそれを深めていくエネルギーもかなり減っていると。

そんな最中に、政治家の質は極めて悪くなっている。
立派で真剣だった過去の先達は消え、モラルが外れ、失礼ながら上の世代が居たら一蹴されていた、出来の悪い中高年の一部が、先達の様な自己承認欲求に取り付かれ、国士無双なカルト的妄想状態で群れていますよね。このblogに何度か書いていますが、確かベイトソンの本だったかで、

「米軍の海外の基地の横に、原地人が同じ様に、廃品や木で櫓を立てて、そこに登って海を棒で見ている。そうすると物資を積んだ船がやって来ると勘違いした新興宗教であった」

という下りがありますが、そのまんまですね。雰囲気満点の仮面ライダーごっこです。こういうのは、逆に米軍側に噛ませ犬で使われてしまいますが(笑
それを止め、諌める側の、マルクスの原典を読んだ様な過去のマインドセットを持った人間ももう居ない。

かつては世界の学問の、一部先端、少なくともトバ口までは網羅出来る、アジア言語としては特に希有な存在で、物理学でさえいけた。でも今は、日本語で語るべき領域はほんとうに無くなってしまった。
つまり、

冷徹な事実として、老人ばかり増え人口が減少する国の、世界で1億人程度しか喋らない他の必然性のない言語になったという事なのです。

実際、少なくとも経済大国からの失策以降、想像されてしかるべき話しではあったのですが、いよいよハッキリした。それを見ない様にする人は、妄想カルトに陥る。

そこで、残りの人生が順調に行っても30年程度の私が、何を考えるか。

震災の時はまだ独り身で、両親が一時行方不明になり、そして原発が爆発した訳ですが、その時に避難する人も多かった。駅は帰国させられる出稼ぎ外国人の子供だらけだったけど、その時、ここ以外、特に行く所等俺には無いよなと思いました。
うっすらと、テレビでよく見ていて不思議にさえ思っていた、戦乱の国に態々帰る被災者に気持ちが初めて判った。

それとちょっと似ているのですが、アラフィフで家族もあって人柱ではあるものの、それは置いて、これからの時間と出来る事に限りがある。仕事でもライフワーク系というのはやはり10年くらいかかる物ですから、後1つか2つでお迎えが来る。そんな自分は、日本中心に、日本語を主要に使う人生を生きようと思います。

これまで書いて来たように、先行きの厳しい言語環境ではありますが、あくまでそのポジションで、少しの歩みでもいいから、新しい世界の知恵や見識を正しく学んで、日本語で語れる様にする努力をして、それを育てて生きて行きたいと思うのです。

長くなりました。この辺で。

タグ:英語 日本語

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